書架之細充 2020 第十二回

文人墨客編集部より、文芸評論家であり書評家である細谷正充氏が気になる本を紹介する「書架之細充」をお送りします。

今回のご紹介は「心淋し川」集英社
著者:西條 奈加
2020年09月04日発売
ISBN:978-4-08-771727-3
定価:本体1,600円+税

 巧い、巧すぎる! 西條奈加の連作短篇集を読んで、思わずそんな感嘆の言葉が漏れた。いやもう、本当に巧いのだ。
 物語の舞台は、江戸は千駄木町の近くにある心町(うらまち)。小さな川が流れていて、その両側に立ち腐れたような長屋が四つ五つ固まっている。人生の吹き溜まりのような場所だ。しかし、そんな所でも人は、懸命に生きている。
 本書には表題作の「心淋し川」から「灰の男」まで六作が収録されている。各話に関係はないが、心町の差配をしている茂十を主人公にしたラストの「灰の男」で、各話の主人公たちのその後が描かれているので、順番に読んだ方がいいだろう。どれも優れた作品だが、表題作をテクストにして、作者の巧さを説明したい。
 主人公は、十九歳のちほ。父親は酒好きで仕事が長続きせず、一緒に針仕事をしている母親は、愚痴を零しまくる。かつて姉がいたが、鮨売りをしていた男の女房になり家を出た。どん詰まりで燻るような日々に不満を抱いているちほ。だが、針仕事の出入り先で知り合った男と、付き合うようになる。男と一緒になって、家を出ることを夢見るちほだが……。
 ストーリーは、ちほの心の動きを丹念に追いながら、ある理由から男との恋が終わるまでが描かれている。その瞬間の文章が秀逸。〝焦れたり浮ついたりと忙しかったものに、すとんと収まりがついて、大人しくなった。収まったのは、恋心か――〟と書いてあるのだ。ここで使われている〝大人しくなった〟という文章に留意したい。もちろん意味は違う。だが、ひとつの恋が終わったことで、ちほが大人になったことを、読者に印象づけるのだ。言葉ひとつにしろ、ここまで考え抜いてセレクトし、人の心を鮮やかに表現している。だから「巧い、巧すぎる!」と、感嘆してしまうのだ。
by 細谷正充

書架之細充2020は今年は今回で最後になります。
色々と大変な年でありました。
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年明けには、代々木八幡さまにいく予定です。
来年は、良い年でありますようご祈念いたします。