「第五回書評家・細谷正充賞」発表!
第五回 書評家・細谷正充賞(第三回 書架の細充賞)
授賞作品紹介
『ヴェネツィアの陰の末裔』上田朔也(創元推理文庫) 『銀狐は死なず』鷹樹烏介(二見書房)
『神々の歩法』宮澤伊織(東京創元社)
『マザー・マーダー』矢樹純(光文社)
『高望の大刀』夜弦雅也(日本経済新聞出版
もしかしたら私たちは、時代の転換期を生きているのではないか。コロナ禍が世界に蔓延した頃から、うっすらと考えていたことだ。そしてその思いは、今年になって、さらに強まった。二月にロシアがウクライナに侵攻し、戦争に突入。早期の勝利というロシアの思惑は、ウクライナの抵抗によって敵わず、この文章を書いている九月五日現在も、戦争は継続中である。そして戦争の影響は全世界に及び、日本での顕著な例としては、諸物価の値上がりが挙げられるだろう。
さらに七月八日には、安倍晋三元首相が奈良県で選挙演説中に銃撃され、死亡するという事件が発生した。現時点では不明な点が多く、事件の内容に触れることは控えるが、元首相が暗殺されるという、衝撃的な出来事である。日本では政治家が死亡するような暗殺事件は、ここ数十年なかった。それが起こってしまったのだ。犯人が〝無敵の人〟であるかどうかは分からぬが、時代が大きく変わろうとしていると思えてならない。
このような状況を踏まえて、出版業界を見てみるとどうだろう。もっと前から転換期を迎えているといっていい。出版物の売り上げは毎年下がり続け、書店の数も減り続けている。個人的なことだが、使い勝手のよかった「明正堂アトレ上野店」が五月に閉店してしまい、いささか困っている。池袋のジュンク堂や新宿の紀伊国屋書店も使っているが、やはり東京に行ったときの、行動ルートにあった書店がなくなるのは不便なものである。
話を戻そう。出版業界の不況が、長らく続いていることは間違いない。そもそも、これほど大量の書籍や雑誌が毎日刊行される時代の方が例外であり、今後、もっと業界全体がミニマムになっていくことだろう。コロナ禍や戦争による影響が、この流れをさらに加速させると考えられる。出版業界で仕事をしている人ならば、危機感を覚えるのは当然のことだ。
しかし一口に出版業界といっても、ジャンルによって影響力の違いがある。旅行やレジャー関係の雑誌は大打撃を受けただろうが、小説や漫画といったジャンルは、それほど打撃を受けていないような気がする。いささか手前味噌になるが、私が編纂している歴史時代小説やミステリーのアンソロジーは、このご時世でも版を重ねているものが多い。その他にも、新聞広告や出版社のHPを見ると〝✕✕万部突破〟といった煽り文句の付いた本が幾つも載っている。本が売れないとは、いったいどこの世界の話であろうか。
もちろんそれは、ほんの一部の賑わいである。部数が下がった、仕事が減ったなど、景気の悪い話も幾らでも聞く。漫画は電子書籍が好調のようだが、いずれ小説の方も電子書籍がメインになる日が来るかもしれない。その場合、ベストセラー作家を除いて、書籍の刊行は高価少部数のファン向けアイテムになる可能もあるのではなかろうか。まあ、私は愛書家なので本で読みたいが、電子書籍しかなければしかたがない。しぶしぶ電子書籍で買うだろう。しかし、電子書籍でしか読まない人の方が増えても、それはそれでいいと思う。肝心なのは、作家が仕事を続け、新作を発表できる環境を維持することである。
もうひとつ、個人出版や同人出版にも目を向けたい。編集から印刷まで含めて、出版技術が進化したことにより、本を造る敷居は格段に下がった。これは喜ばしいことである。実際、絶対に読めないと思っていた海外のミステリー・SF・ホラーなどが次々と翻訳出版されていることは、大いに喜ぶべきであろう。日本人作家の埋もれた作品の発掘も盛んだ。値段がそれなりなので懐は痛むが、そんなことはいってられない。片っ端から買いまくっている。商業出版だけ見ると、業界の未来は暗いように思われるが、より広範に捉えれば元気な部分もある。だいたい、どんな状況であろうと、小説を書く人は書くし、本を読む人は読む。その意味では、あまり出版業界の未来は心配していない。
とはいえ、もっとも大切なのは、常に〝今この時〟である。出版業界は、優れた作家が、真剣に作品と向かい合える場所であってほしい。新たな才能が、ここで勝負したいと思える場所であってほしい。そのためには業界にいる、すべての人間が、自分に出来ることを実行すべきであろう。私が、一般社団法人文人墨客と組んで、細谷正充賞を始めたのも、このようなことを考えていたからだ。泥縄式に始めたところがあり、最初は何人かの編集者からお叱りを頂いたことものである。もし私の評判が悪くなり、業界から抹殺されたらどうしようと、内心ビクビクしたこともある。
さいわいにも抹殺されることなく、細谷正充賞も五回目を迎えることになった。少しは業界の賑やかしになっていると自負している。まだ続いているコロナ禍により、授賞式などがどうなるか、この文章を書いている時点では分からない。実務全般を担当してくれている、一般社団法人文人墨客には苦労ばかりかけている。それでも出来る限り、この賞を続けていきたい。こんなに面白い小説があるのだと、多くの人に知ってもらう。授賞式を通じて、業界の人々に新たな出会いの場を提供する。こうした行為の積み重ねが、ほんの少しでも、出版業界に寄与していると信じているのだ。大言壮語になってしまったが、これが私の偽らざる気持ちである。
さて、前置きが長くなってしまったが、第五回細谷正充賞の受賞作を紹介しよう。まず、上田朔也の『ヴェネツィアの陰の末』(創元推理文庫)だ。第五回創元ファンタジィ新人賞佳作作品である。物語の舞台は、十六世のヴィネツィア共和国。ここに強く惹かれた。歴史時代小説の舞台は、当たり前だが日本がメインで、それ以外は中華があるくらいだった。もちろん他の国を扱った作品もあるが、きわめて少ない。だが近年になって、ようやく状況が変わってきた。日本が世界と密接に繋がっていることが露わになっている今、この流れは必然といっていい。また漫画の方でも、佐藤二葉の『アンナ・コムネナ』や、トマトスープの『ダカピアのおいしい冒険』『天幕のジャードゥーガル』が人気を獲得している。そのような時代に本書のような歴史ファンタジーが現れたのは、実に頼もしいことだ。さらにいえば、人知を超えた力を持つ魔術師の存在が、歴史の中に巧みに組み込まれている。ここも高く評価した部分だ。ストーリー展開に注文をつけたい部分もあるが、新人がこれだけ書ければ充分だ。将来への期待も込めて受賞作に決めた。
鷹樹烏介の『銀狐は死なず』(二見書房)は、活きのいい活劇小説だ。アクション小説とバイオレンス小説の中間点あたりを狙っており、その目論見が見事に達成されている。銀狐と呼ばれる武装強盗と、彼が用意していたセーフハウスに入り込んでいた野良というパソコンの天才的スキルを持つ少女。コンビを組んだ二人と、凶悪な敵との戦いが堪能できた。終盤に登場する、ある小道具の使い方などもよかった。現代の活劇はこれでなくては。現在、アクション小説やバイオレンス小説は、散発的作品が上梓されるだけで、巨大な空白地帯になっている。これはという作家もいたが、小説以外のジャンルに行ってしまった。その空白を作者が埋めてくれることを信じて、受賞作に決めた。
宮澤伊織の『神々の歩法』(東京創元社)は、本が出版される前から受賞が決まっていた。事情を説明しよう。もともと『ウは宇宙ヤバイのウ! ~セカイが滅ぶ5秒前~』から注目していた作者だが、第六回創元SF短篇賞を受賞した「神々の歩法」を読んで、惚れ込んでしまったのだ。斬新なSFのアイデアを核としながら、ストーリーは戦闘サイボーグ部隊と高次生命体に憑依された美少女持が協力して、別の高次生命体に憑依された超人たちと戦うという、とびっきりのエンターテインメントだったのである。「これこれ、これだよ。こういうSFが読みたかったんだよ」と叫びたくなったほどの快作だ。だからこれがシリーズ化されたとき、本になったら絶対に細谷正充賞を贈ろうと、じっと待っていたのだ。その願いが叶い満足である。
矢樹純の『マザー・マーダー』(光文社)は、非常に手の込んだ連作ミステリーである。漫画原作者としても知られる作者だが、ミステリーの方で注目を集めるようになったのは、二〇一九年の短篇集『夫の骨』からである。ドメスティック・ミステリーともいうべき内容は、どれも優れており、大きな評判を呼んだ。二〇二〇の短篇集『妻は忘れない』も同様である。ただし似たような傾向の短篇集が続いたことが、いささか気になった。読者は贅沢なもので、同じ傾向の作品が続くと、内容がよくても、しだいに飽きていくからだ。さて、どうするのかと思ったところに出版されたのが本書であった。読み始めは短篇集だと思っていたら、しだいに各作品に繋がりがあることが判明。最終的にある人物の、恐るべき肖像が浮かび上がる。しかも各作品の方向性が違っており、ミステリーのバラエティ・ショーの感があった。おそらく作者は自覚的に、作品世界を進化させているのだろう。物語の面白さだけではなく、その点を評価して受賞作に決めた。
夜弦雅也の『高望の大刀』(日本経済新聞出版)は、第十三回日経小説大賞受賞作だ。まず感心したのは主人公に、桓武帝の曾孫(孫説もあり)で、桓武平氏の祖である平高望を選んだことである。前半生に不明な点が多いことを作者は巧みに利用し、物語の前半で高望の鬱屈と世に出ようとする足掻きを活写。併せて高望の知り合った女刀工を通じて、俘囚(帰順した蝦夷)の悲しみを表現する。さらにある騒動により高望が上総に流罪になり、物語は驚くべき展開を迎える。熱いドラマから伝わってくる、高望の理想に、作者の確かな志が感じられた。無茶なところもあるが、新人はこれくらい元気な方がいい。今後、活躍するであろう作者の背中を押したくて受賞作に決めた。
by細谷正充