第四回 書評家・細谷正充賞 選評-3

西尾潤『マルチの子』(徳間書店)
表画 太田侑子
装幀 川名潤
初刷 2021年6月30日
定価 1800円+税
ISBN 978-4-19-865301-9
https://www.tokuma.jp/book/b583955.html

 本書は、西尾潤の初長篇である。すでに第二回大藪春彦賞受賞作を表題にした短篇集『愚か者の身分』を刊行しており、才能があることは分かっていた。その才能を長篇でも発揮できるのかと期待しながら読んだら、こちらの想像以上の優れた作品であった。
 主人公は二十一歳の鹿水真瑠子。大坂の実家で暮らす彼女は、HTFの一員として、カイミン・ツーという健康磁気マットレスを扱っている。妹の真亜紗の彼氏の望月を、自分の傘下会員として抱えているが、それほど成績がいいわけではない。しかし、他のネットワークビジネスをしていた竹田が、仲間と共に真瑠子の傘下会員になったことで、状況は好転する。ゴールド会員に昇格し、大坂のコンベションで紹介されることになった彼女は、さらにマルチ商法にのめり込んでいく。
 ヒロインは悪人ではなく、ごく普通の若い女性だ。声に独特の魅力があり、会員勧誘の話術も巧みである。しかし三人姉妹の真ん中である真瑠子は、姉と妹にコンプレックを抱いていた。海外留学をして、そのまま就職した、賢い姉。自分の生き方をしっかり持っている、可愛らしい妹。その間に挟まれた自分は、取り柄のない人間だと思っているのだ。だから真瑠子は、マルチ商法に夢中になる。なぜなら傘下会員が増える(=商品が売れる)と、組織の中での立場がアップし、周囲から称賛されるからだ。これにより彼女の承認欲求が満たされるのである。破滅するまで突っ走ってしまう真瑠子の行動から、承認欲求に取り憑かれた人間の、痛々しい姿が浮かび上がってくるのである。
 そう、本書のテーマは承認欲求なのだ。承認欲求という言葉は近年になってから広く使われるようになったが、そうした感情は昔からある。誰かに褒められたい、認められたいという気持ちは、人間が持つ当たり前の気持ちなのだ。もちろん私にもある。ゆえに真瑠子の承認欲求への渇望がよく理解でき、彼女に感情移入してしまうのだ。インターネットの発達により自己主張が簡単になると、それと比例するように承認欲求を満たそうとする人が増えた。承認欲求を拗らせ、炎上騒動を起こす人も後を絶たない。本書は、そんな時代が求めた物語だといえるだろう。
 なお本書は、マルチ商法にハマって七百万円の謝金を背負ったという、作者自身の体験がベースになっているという。躊躇なく自己の過去をエンターテインメントに昇華した、作家としての姿勢も高く評価した。