書架之細充 2020 第四回

2020年4月19日 - 書架の細充

ご無沙汰してます。
引きこもりの毎日に書籍の憩はいかがでしょうか。

文人墨客編集部より、文芸評論家であり書評家である細谷正充氏が気になる本を紹介する「書架之細充」をお送りします。
今回は二冊ご紹介します。

まずは、『ゴーストリイ・フォークロア 17世紀~20世紀初頭の英国怪異譚』南條竹則:著 KADOKAWA(2800円+税)ISBN978-4-04-108326-0を紹介します。

意外なところで面白い作品に出合うと、なんだか得をした気分になる。最近だと、南條竹則の『ゴーストリイ・フォークロア 17世紀~20世紀初頭の英国怪異譚』だ。「このシリーズは、題名からもおわかりのように、英国怪談のうちでもとくにフォークロアと文芸とが重なり合うあたりから、面白いもの、変わったものを見繕って御覧に入れるというのが当初の狙いであった」という作者自身の言葉が、本書の立ち位置を端的に表している。
とはいえ作者が選ぶ作品はかなり幅広く、小説・物語詩・バラッドなど多彩である。また、時に脱線もする、軽妙な語り口が魅力的。たとえば、第二章「アイルランドの『杜子春』物語」で書かれている、芥川龍之介の「杜子春」と、『唐宋伝奇集』に収録されている「玄怪録」の比較など、話の枕に過ぎないのに、面白くてたまらない。英国怪談の源流の一端だけでなく、広範な物語の知識を得ることができるのだ。
さらに作者自身が各章で、さまざまな作品を訳している。この中で、特に楽しめたのが、第一章「みんなの女の子」で翻訳されている、ヒュー・マクデミアットの「みんなの女の子」だ。ある村に現れ、不思議なことをいう女の子。話かけられた人は、彼女がかつて死んだ、自分の肉親や知り合いとしか思えない。はたして女の子は何者なのだろう。
女の子は幽霊のようであり、作者が指摘するように「妖精の仲間」のようにも思える。幽霊が徘徊しているのか、それとも妖精のいたずらなのか。ふたつの疑問の狭間に、ストーリーが揺蕩う。そのことにより独自の味わいが生まれているのだ。いささか高価だが、作者の語り口と知見に加え、このような秀作まで読めるのだから、たまらない。値段を気にせず購入したい一冊である。

続きまして、『まむし三代記』木下昌輝:著 朝日新聞出版(1800円+税)ISBN978-4-02-251664-0を紹介します。

感嘆するのは何度目だろう。木下昌輝が『まむし三代記』で、またもやとんでもないことをやってくれた。それは日ノ本すら破壊するという最終兵器〝国滅ぼし〟である。
本書は斎藤道三の父親の法蓮坊(長井新左衛門)から、道三の息子の義龍まで、斎藤三代の波乱に富んだ人生を描いた戦国小説だ。実は、道三の祖父で、応仁の乱の最中を生きる松波高丸のエピソードが随所に挿入されているので、四代記ということもできる。
物語は、半将軍と呼ばれる細川政元暗殺に集められた男たちを、法蓮坊が仲間にして、乱世に踏み出すところから始まる。このときの仲間に、源太という少年がいる。法蓮坊に興味と不信感を抱きながら、彼と行動を共にする源太が、外側の視点となり、斎藤三代の視点と絡まり合う。こうした複合的視座が、本書のひとつの読みどころであろう。
法蓮坊・道三・義龍は、それぞれキャラクターが違っており、父子の関係も一筋縄ではいかない。それを巧みに表現しながら、彼らの美濃の国盗物語を活写する。これがたまらなく面白い。それと同時に〝国滅ぼし〟の正体で、読者の興味を強く引っ張るのだ。
戦国小説を読み慣れている人なら〝国滅ぼし〟正体は、早い段階で察しがつくだろう。だがここに、作者の企みがある。〝国滅ぼし〟が姿を現してからの展開で、大いに驚くことになった。しかも源太と女房の会話など、伏線がぬかりなく張られている。でも、これで気づけというのは無理だ。木下昌輝、どこからこんなアイディアを閃いたのだ。ただただ唖然とするしかない。
さらにこの奇想が、史実の器の内に、きちんと収まっているではないか。だから本書は、堂々たる歴史小説であると、断言できるのである。デビュー作から見せつけてきた、作者の才気が遺憾なく発揮された秀作だ。