「書架之細充(しょかのほそみつ)書評家細谷正充の書棚 第六回

2019年8月20日 - 書架の細充

「書架之細充(しょかのほそみつ)」第六回
このコーナーは、書評家細谷正充氏の書棚として、細谷正充氏が気になる本を紹介し
ていきます。よろしくお願いします。

◆へぼ侍 坂上泉 文藝春秋 1,400円+税
有望な新人を輩出することで知られる松本清張賞だが、第二十五回になる今年もそ
れが事実であることを証明した。坂上泉の受賞作『へぼ侍』(文藝春秋)によって
だ。
西南戦争が起きた明治十年。大阪の与力の跡取りだったが維新で没落し、商家で丁
稚奉公をしている十七歳の志方錬一郎は、仕官の道を切り拓こうと、策を弄して官軍
が徴募する≪壮兵≫になった。分隊長を任せられたが、配下の部下は曲者揃い。脱走
騒動を経て、なんとかまとまった分隊は、過酷な戦場を駆け抜けていく。
西南戦争を題材にした作品はたくさんあるが、作者はそこに果敢に攻め込んだ。出
世を目指す錬一郎を始め、料理の得意な元公家侍や、恐妻家の銀行員、維新の動乱を
戦い抜いたという猛者など、分隊のキャラクターが立っている。そんな彼らが、時に
右往左往し、時に状況を動かしながら、西南戦争を戦っていく。分隊と行動を共にす
る従軍記者(この人物を持ってくるとはセンスがいい)の扱いも巧み。西南戦争を斬
新な角度から描いた歴史小説として、錬一郎の成長を見つめた青春小説として、大満
足の読みごたえである。
ところで本書の中で、分隊が薩軍の発行した軍票――いわゆる西郷札とかかわるエ
ピソードがある。これは松本清張の短篇「西郷札」を意識しているのだろうか。ちな
みに清張は、この作品を「週刊朝日」の≪百万人の小説≫に応募し、入選したことで
作家になった。この事実を踏まえた上で、松本清張賞の応募作に西郷札を使ったのな
ら、やってくれるものである。作者のこれからの活躍が、楽しみでならない。
なお作者は、ネットの「やる夫スレ」(説明が面倒なので詳細は省く)の作家とし
て知られている。個人的には「やる夫達は戦後の裏舞台を戦い抜くようです」の小説
化を期待している。

◆火神子 森山光太郎 朝日新聞出版 1400円+税
いったい、どのような育ち方をすれば、二十七歳で、これほどの作品を書ける人間
になれるのだろう。森山光太郎の第十回朝日時代小説大賞受賞作『火神子 天孫に抗
いし者』(朝日新聞出版)を読んで、まずそう思った。いや、本当にとんでもない作
品である。
時は弥生時代。大王・登美昆古のもとで泰平を謳歌していた長髄の邑は、御真木と
いう若者の率いる兵に襲われ滅びた。大陸から渡ってきた御真木は、「天孫」を称
し、この地に新たな国を創ろうとする。
一方、登美昆古の娘だが、訳あって山奥で暮らしていた翡翠命も、この事態に巻き
込まれる。大陸渡りの薬師・左慈(この人物をこう使うのか!)の薫陶を受けてきた
翡翠命は、王の資質の持ち主である。だが、まだ若く自分の感情を制御しきれない。
このふたりを中心にして、多数の人物の運命が絡み合う。タイトルから察せられる
ので書いてしまうが、翡翠命は後の卑弥呼である。つまり本書は、大和と邪馬台国の
対立が生まれる過程を描いているのだ。なぜ、天孫降臨伝説や卑弥呼の誕生など、作
者は逞しい想像力を駆使しながら、魅力的な古代史小説を書き上げたのである。
さらに当時の大陸の影響が、物語の底に横たわっている。この点に関しては、町井
登志夫の『諸葛孔明対卑弥呼』という先行作品があるが、そちらとはまったくアプ
ローチが違うので問題なし。突出したて才能の登場を喜びたい。
ただストーリーは、壮大な物語のプロローグといった趣があるので、是非とも続き
を書いてほしい。そうでなければ、欲求不満に陥ってしまいそうである。

◆早朝始発の殺風景 青崎有吾 集英社 1450円+税
これまた凝ったことをしている。青崎有吾の短篇集『早朝始発の殺風景』(集英
社)は、非常にテクニカルだ。収録されているのは五篇。それにエピローグが付く。
登場人物は、ふたりの高校生(一篇だけ三人)。しかも物語は、固定された舞台で進
行していく。これで謎の提示と解決をやってのけるのだから、凄いとしかいいようが
ない。
たとえば表題作では、始発電車に乗り合わせた少年少女が、互いの目的を推理す
る。それぞれの会話から発展する推理が、作者のデビュー作『体育館の殺人』を彷彿
させるところもあり、実に楽しい。
また、どの話も読み味がいい。ラストの「三月四日、午後二時半の密室」など、ささ
いな疑問の解明が、ふたりの少女の新たな友情の始まりを予感させて、なんとも気持
ちがいいのである。
さて、それとは別に感心したのが、「メロンソーダ・ファクトリー」だ。ファミレ
スで、だらだらと話をしている三人の同級生の少女。ある件でひとりの少女が見せた
不可解な態度から、思いもかけぬ事実が明らかになる。本書で唯一、登場人物が三人
なのだが、これはそうでなければいけない。不可解な態度の少女と、その理由を推理
する少女。ふたりでもストーリーは成立するのだが、それでは作品のテーマが薄まっ
てしまうのだ。ネタバレ回避のため、あやふやな書き方になってしまうが、読んでい
ただければ納得できるはずである。
この作品の登場人物をふたりにすれば、単行本の統一感は高まっただろう。だが作
者は、自分の表現したいテーマを優先した。そこに私は、青崎有吾という作家の、誠
実な創作姿勢を見るのである。