本の旅、その他の旅 2

2020年6月24日 - エッセイ・コラム

 小山正の『ミステリー映画の大海の中で』を読んでいたら、無性にミステリー映画が見たくなった。ちょうどといってはなんだが、コロナ禍による緊急事態宣言で家に籠っており、少し時間が取れる。ということで一日一本、ミステリー映画を見ることにした。そうすると、いろいろな発見があって面白い。
 たとえば、ジーン・ワイルダー監督・脚本・主演の『新シャーロック・ホームズ/おかしな弟の冒険』。女王から外務大臣に渡された文書が盗まれる。木曜までに取り返さないと、イギリスは戦争に巻き込まれることになるそうだ。この事件の解決を依頼されたのが、シャーロック・ホームズの弟のシガーソン(ジーン・ワイルダー)。脇を固めるのは、聞いたことをレコードのように再生できる刑事オービル(マーティ・フェルドマン)と、嘘つき女優のジェニー(マデリーン・カーン)である。個人的には、このメル・ブルックス組(メル・ブルックス監督の作品に出てくる常連俳優を、勝手にこう呼んでいる)による配役だけでご機嫌だ。
 それはさておき、本作にはシャーロック・ホームズの宿敵であるモリアーティ教授も登場する。ビックリしたのは、教授の部屋で使われたギャグ。部下が帰ろうとすると、教授はふたつの扉のどちらかを選んで出ていけという。覗いてみると、片方の扉の向こうには虎、もうひとつの扉の向こうには女性がいる。当然、部下は女性の方を選ぶのだが、なぜか閉じた扉の向こうからは、虎の唸り声と部下の悲鳴が聞こえるというものだ。
 えええ、なにこれ、フランク・R・ストックトンの短篇「女か虎か」がネタ元ではないか。「女か虎か」のストーリーを簡単に述べると、ふたつの扉があり、それぞれの先には虎か女がいる。主人公は王の命令により、どちらかの扉を選ばなければならないというもの。この作品が有名なのは、物語の結末を書かず、読者の想像にまかせた点にある。いわゆる〝リドル・ストーリー〟の先駆けにして傑作なのだ。私が『新シャーロック・ホームズ/おかしな弟の冒険』を初めて見たときは、この短篇の存在を知らなかったので、ギャグの本当の意味での面白さが分かっていなかった――ということが、数十年ぶりの再見により、ようやく理解できたのである。
 もうひとつ例を挙げよう。ジョン・フランケンハイマー監督の『殺し屋ハリー 華麗なる挑戦』だ。いかにも70年代らしい、ポップなアクション映画である。ギャング団同士の抗争で、一方のボスに雇われた殺し屋のハリー(リチャード・ハリス)が、激しい銃撃戦を繰り広げる。骨太な作風のジョン・フランケンハイマーと、ポップなテイストの組み合わせによる、ちょっと珍妙な作品である。
 それでだ。ハリーがボスから付けられた相棒と共に敵のところに向かうとき、下水道を使う。このとき、なぜか鰐がいるのである。おそらくこの場面、昔だったら意味不明だったろう。だが今なら分かる。飼われていた鰐が逃げ出し、下水道に生息しているという、アメリカの有名な都市伝説を使っているのだ。
 私が、この都市伝説を知ったのは、ロバート・キャンベルの『鰐のひと噛み』によってである。民主党シカゴ二七区の班長をしているジミー・フラナリーを主人公にしたシリーズの第三弾だ。このシリーズ、かならず動物が事件に絡んでいる点が特徴になっている。『鰐のひと噛み』は、下水道を点検中のフラナリーが、鰐に噛み千切られたという死体を発見する。もちろん都市伝説を意識した事件の設定であり、作中で言及されている。非常に面白いシリーズなのだが、なぜか本作で翻訳は途絶えた。残念である。
 その都市伝説と今になって映画で再会するとは思わなかったが、知っているからこそニヤニヤしてしまった。こういうとき、知識は力だと確信してしまう。知らないよりは知っていたほうが、物語の世界を、より深く理解できるのだ。だから私は、若い人から「なんのために勉強するのか」と聞かれることがあったら、物語を楽しむためだと答えるつもりでいる。