書架之細充 2020 第五回

2020年5月9日 - 書架之細充

文人墨客編集部より、文芸評論家であり書評家である細谷正充氏が気になる本を紹介する「書架之細充」をお送りします。

今回は、「言の葉は、残りて」佐藤雫:著 集英社(1,650円+税)ISBN978-4-08-771697-9を紹介します。

第三十二回小説すばる新人賞を受賞したデビュー作。しかも作者は、まだ三十代前半という若さ。それでこれほど優れた歴史小説を書いてしまうのか。とんでもない新人が現れたものである。
摂関家の姫の信子が十二歳で嫁いだのは、鎌倉幕府三代将軍の源実朝である。荒々しい武士かと恐れていた信子だが、現れたのは繊細な心を持った優しい若者だった。信子に導かれて和歌の世界を知り、やがて武力ではなく、言の葉の力により世を治めようと決めた実朝。しかし鎌倉の地は、北条家を始めとする、武士たちの権力闘争が絶えない。そして血腥い陰謀が、実朝に襲いかかるのだった。
実朝と信子が主人公と知った時点で、本書が悲劇的な色合いを帯びていることが分かった。なぜなら実朝は、甥の公暁によって、鶴岡八幡宮で暗殺されるからだ。さまざまな思惑が渦巻く鎌倉に馴染めないが、夫との愛情を深めていく信子。妻に感化され、理想の治世を目指すようになる実朝。夫婦の姿が清冽に描かれているだけに、ページを捲って悲劇に向かっていくのが辛い。それでも読む手を止められないのは、物語が面白いからだ。人間の善悪から目を逸らさず、それを興趣に富んだストーリーで表現する手腕は、新人離れをしている。
さらに主人公夫婦以外の登場人物にも留意したい。実在の人物が、生き生きと捉えられている。なかでも傑出しているのが、北条政子の妹で、実朝の乳母をしていた阿波局だ。無神経だが善良な性格を装い、毒のある言の葉を周囲に振りまく。そこには、過去の悲しみによる、歪んだ愛情があった。このような複雑な人間が、鮮やかに表現されているのだ。また、実朝と信子の言の葉との対比にもなっている。どこを取っても読みごたえ抜群。作者の言の葉の力に感服した。

ISBN978-4-08-771697-9